2012.08.04~05 屏風岩東壁雲稜ルート

参加者:U、N (U記)
8/4 12:30横尾 15:05 T4尾根取りつき
  16:45 T4ビバークサイト
8/5 05:40登攀開始 9:40通常6p目終了点
  11:00 T4戻り   12:10T4尾根取りつき戻り
  18:00上高地よりバスで沢渡
T4尾根の登攀
1p目.フェースを薄いクラックを利用して登る。
  2人で7リッターの水をもっているので辛かった。
  25mくらい。昔はざらざらをトラバースして、左から
  凹角状を登ったが今は落石が多いので登らない。
2p目被り気味のカンテを登るがガバが多い。その後左上する
  スラブを登り灌木帯へ。
途中、コンテで80m。
3p目.昔はこんなチムニーはなかったが雨で土が流れたの
  だろう。フィックスがあり助かる。すぐ、T4。 
雲稜ルートの登攀
1p目ピナクルテラスまで50mいっぱい。途中の
  ハングは奮闘的で6時前なのに熱い。
2p目出だし掛け捨てアブミで一歩真上から、右のピナクルめざし
  右上。ピナクルより簡単なバンドを左上し扇岩へ。
3p目人工のピッチ。ボルトの間隔が短く、ホールドスタンスも
  あるのでほとんどボルト一個飛ばしで登れるが、自分より身長のない
  Nさんのことを考えランニングを残しながら登る。ピッチの出だしに
  ATCを忘れてきたのでイタリアンヒッチでビレイ。写真が撮れず
  残念だった。
4p目出だしアブミを2つ掛け捨てで、フレークをバンドに攀じ
  登る。バンドのトラバースは簡単。セカンドを考えランニング
  も残す。トラバース後簡単なルンゼを直上。難しそうのフェース
  に遭遇するが、右の草付トレースをビレイ点まで。声がほとんど
  聞こえなかったが暗黙の了解。
5p目短いフェースを登り。バンドを5m左へ。ルンゼをまたぐように
  のフェースを登る。要所にボルトハーケンがある。あまりの暑さ
  にフラットソールのフリクションが効かない感じで、特に白い石は
  滑った。一か所右から被った箇所は左のフェースに大きく移動して
  クラック沿いに上る。途中支点もあったがギヤがなくなるまで50m
  いっぱいに登る。この支点はどうやら通常の6p目の終了点のようだ。
  上は緩い草付スラブからブッシュ帯へと続く。
   
  ここで登攀終了とする。5pの懸垂でT4横の横断バンドへ。
     熱中症寸前でデポした水にありつくことができた。
感想:
  T4でのビバークは1970年5月池田君とビバークして以来。
  その時大スラブの中谷ルートを登っていたパーティを上部からの雪と岩の
  雪崩が襲った。雪崩が起きたとき我々はT4尾根の取りつきにいたが
     大量の雪と岩が横を流れていった。飛沫でびしょ濡れになるほどで、
     危うく難を免れた。T4に上がると1名がぶら下がって死んでいる模様、
  月夜のビバーク中、見上げるとぶら下がっている様子が今も脳裏に
  焼き付いている。このことは出かける前もビバーク中も、Nさんには
  話さなかった。この山行を最後に、登山活動を止め、社会復帰した自分だった。
  
      もの凄い暑さの中での登攀だったが、アルムルートを開拓した時を思いだした。
      やはり、炎天下の中だった。壁で2ビバーク、4名で水8リッター程しか
      もっていなかった。昔の方が暑さが緩かったのか? 若さ故の暴挙だったのか?
      登攀後、屏風の頭にあったブリキ缶に溜まっていた水を汚い帽子で濾して
      飲んだことが     思いだされた。
   
     T4に着いた時、東壁ルンゼを途中で断念してきた2名と話した。ボルトの
  リングが欠損しており大変だったとのこと。南さんがルートを拓いたのは
  1967年、小生と仲間の川原君で東壁ルンゼを登ったのは1969年夏。冬の初登攀
  の前で、緩いハーケンに苦労したがボルトはしっかりしていた。しかし、最後の
    “への字”ハングの抜け口のボルトリングだけは無くなっていた。
      南さんが風鈴をぶら下げたボルトと思われた。ボルトを飛ばして登ろうとしたが
      ハングの抜け口の肝心のボルトでどうしても越せなかった。ハンマーをぶら下げて
      いた紐が細かったので、その紐をボルトの穴に通して乗り切った。屏風岩で一番
  高い     ところにあるハングで恐る恐るアブミに乗ったときは怖かった。
  一緒に登った川原君翌年フランスアルプスで墜落死。濃厚で短い22年だった。
    
  登攀の日、東壁は我々だけだった。フリークライミング全盛の時代、屏風岩は
     もう岩登りのフ ィールドとしては時代遅れなのだろうか。我々の青春が
     凝縮された岩場なのだが,ボルト事情がさらに劣化すれば訪れる人も
     居なくなるのだろうか?
 渡渉地点はゼロルンゼの下。ゼロルンゼにもアルムの仲間が拓いたルートがある。
T4
 
 
T4のビバークサイト
 
蝶、常念
 
日の出前の蝶が岳、常念岳
1pme
 
1p目を登る。6時前なのにもう暑い。
1p目ピナクル終了点
1p目の終了点。ピナクルテラス。
2pme
 
2p目の出だし。one-point人工から右上。
扇岩
 
 
扇岩のテラスより2p目を望む
3p目を人工で登る。ボルトのリングが随分なくなりました。
5p目。東壁ルンゼを登る。
5p目終了点より上部を望む。もう草付です。ここで登攀終了。
カテゴリー: 山行報告 タグ: , パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です