2012.08.22~09.01 スイス・イタリアBregaglia ( PizBadile North Ridge)

“Bregaglia”, 余程のヨーロッパアルプス通でも知らない地名である。高級リゾートで知られるSt.Moritzの南側イタリア国境にまたがる山域、スイス側はBregaglia渓谷、イタリア側はMasino、Mellow渓谷に囲まれた花崗岩の殿堂である。PizBadile(3301m)PizCengalo(3369m)などが中心的な山でスイス・イタリアの国境にそびえる。Bregagliaの北方にはPizBernina(4048m)が日本でも知られた高峰であるが、なだらかな山容で花崗岩の岩峰とは言えない。今回はBragaglia山域のAlbigna湖周辺の岩場、PitzBadileの岩場を目指した。PitzBadileの北東壁にはRiccard Cassinが初登攀したカシンルートがあり今回もそのルートを目標としていた。

Bregagliaはスイスの端っこ。イタリアとの国境地帯。

BregagliaはスイスのBregaglia渓谷とイタリアのMello渓谷に挟まれた花崗岩の殿堂。

8/22 常連となったアエロフロートで東京を発つ。安い航空便のなかではミラノへ行くにはモスクワ経由は無駄がなく便利である。その日に到着、Malpensa空港近くのホテル泊。今回はアルファロメオ前進6速マニュアルナビ付を借りたが、ナビの性能が日本とは段違いに落ちる。それでも標識の乏しいイタリアでは大いなる助け。

8/23 天気予報が好転して明日はまあまあの天気ということで、スイスとの国境の町Chiavannaへ向かう。自動車レースで有名なMontza、湖の畔の町Comoなどを経由SS36をひたすら走る。Leccoに入ると両側は岩山、ここがRiccard Cassinの故郷である。

今日はChiavannaからスイスへ入りViscosopranoの先よりAlbigna湖へ入る。往復30Sfとスイスにしては割安のロープウエイにのりダムの堰堤へ。全てが一人での運営頂上の駅にも誰もいない。Albigna湖は花崗岩の岩山で囲まれた湖、ダムの堰堤から60分ほどでAlbigna小屋へ。Albigna小屋はスイス山岳会の小屋で小屋番は40歳くらいの山岳ガイドである。同室にはカナダ人のソロクライマー Raihaldと一緒になる。旧東ドイツ地域からカナダに亡命した67歳のユダヤ人で山の話から歴史まで色々話が弾んだ。Raihaldは花崗岩の山にしか興味がないとのこと、Dolomitteなどは眼中にないチョット変人。

Chiavannaの街並み

観光客もちらほら

Albignaのロープウエイから見たPizBalzet2869m。

Albignaダムの堰堤を通りAlbignaHutまで1時間弱。

Albigna小屋。右後ろがPizDalPal(2618m)。

当初登攀予定だったPuntaAlbinga(2825m)

8/24 天気がもつのは午前中だけとのことである。小屋番が推薦するPuntaDalAlbignaのNWRidgeを予定していたが、今回は諦め小屋の前の岩場、PtzDalPalTowerのSWAreteを登ることにする。アプローチが短く4p程のショートルート。

PtzDalPalTower SWArete

6:55取り付き

1p目:クラックを登り、草付のフェース。

2p目:フェースをクラック沿いに登る。

3p目:傾斜の強そうなリッジだがガバガバしている。

4p目:フェースから傾斜の強いタワーの先端部分。

最後はハンガーがあるので安心だが雨が降り始め滑りやすい。

フリーでは5.9.

7:45登攀終了

雨が降りそうだったので大急ぎで登ってしまった。下降は東面を50mいっぱいの懸垂。

天気予報だと暫く天気が安定しないので下山する。

取りつきへ向かう途中よりAlbigna小屋。

2p目の出だし。

3p目を登る。

終了点直下。雨が降り始めました。

Pontresinaのクライミングショップへ行きたかったのでSt.Moritzへ。全てが高そうなSt.Moritz。Pontresinaのクライミングショップはマムートなども日本並みの値段。高級リゾート地を早々に引き上げ、氷河特急のイタリア側終点のTiranoへ向かった。途中、PitzBerninaが氷河の向こうに姿をみせる。大きな氷河の向こうに雄大な山がそびえたつ。

イタリアへ入ると雰囲気がガラッと変わる。Tiranoは南国という感じである。どうせ、明日の天候が悪いとのことで何処へ行くか迷ったが40kmほど離れたBormioの町へ行くことにした。Bormioはアルペンスキーの世界選手権を開いたことのある町、温泉もあるらしいとのことだったが。週末ということでBormioの町は観光客で賑わっていた。古い町並みの旧市街地とスキー場は川を隔てて共存する。スキーのスロープは西面である。

PizBernina(4048m)の雄大な山容。

8/25 Badileの登攀にそなえてChiavanna方面へ戻る日だが、午前中はBormioの町を散策する。Climbingshopをやっと見っけた。全てがスイスより安い。Hoglofsの38Lの1本締めのザックを見つけた。140ユーロ。値引いてもらい12000円ほどで手に入れた。古いDaxのザックは個数制限で機内に持ち込めないので多くの山行の思い出と共に捨てて帰ることにする。Chiavannaの近く泊。

19時ごろより3時間ほどもの凄い雨と雷。

 

8/26 無人の食堂に用意された朝食を食べ、スイス国境へ向かう。Bondoから林道の有料道路(12sf)を通り終点のLaretの駐車場へ。歩くと1時間以上はかかるだろう。駐車場には車が2台ほど、天気が悪かったので少ないのだろう。LaretからはSascFuraHutとScioraHutへの登山道が始る。準備をしていると人が下りてきて、“FuraHutへの橋が昨晩の雨で流されたので下流の小さな橋を使いなさい。”とのこと。駐車場の下端から降りる踏み跡の先にワイヤーで固定された橋があった。もの凄い川の流れでこの橋が流されなかったのが不思議だった。FuraHutへは急ではあるが良く整備された道で2時間かからなかった。FuraHutは午前中だったので客はだれもいない。米粒の入ったスープとパンを出してもらったが、女性2名で経営する小屋で食事はおいしそうである。昨晩の雨で北東壁は濡れて、凍っているかもしれないとのこと。北稜を下降することはリッジ上で大変だからイタリア側へ南稜を下りGianaetti小屋へ一泊してスイスサイドに戻ることを勧められる。アドバイスを受け入れ 明日の登攀は北稜として下降は南稜をイタリア側へ下ることにする。

昼食後偵察に出かける。FuraHutから暫く登るとBadileの北稜から北東壁が見渡せるようになる。登山マークとしてはScioraHutへの道をたどる。途中から大きな花崗岩群の緩い岩場を北稜の取り付きへと向かう。北稜へ取り付く最後の壁の下まで偵察し、少々下ったところにロープなどの重い登攀道具をデポする。何パーティかが登ってきて周辺の岩小屋などにビバークするらしい。岩陰へ隠すようにデポする。昨今のヨーロッパの経済事情を考えると安直に人は信用できない。夕食時前に小屋に帰ると小屋には沢山の登山者が到着していた。女性の小屋番の料理は美味しかった。

FuraHutとPitzBadile。オーストリアのガイドDietmar撮影。

FuraHutの様子。

花崗岩をたどりBadile北稜の取り付きを目指す。

8/27 4時に起床。ハム、チーズ、パンの山小屋の朝食としては良い食事を食べ5時前に小屋を出る。既に4パーティほどが出かけていたがヘッデンの光りはあまり見えない。暗いとデポの場所が見つかるかなと心配したが明るくなるころデポの地点へ。ハーネスをつけ準備OKと言いたいところだがNがヘルメットを忘れたらしい。リッジだから落石の心配は最小限ということでそのまま取り付きへ向かう。アプローチシューズのまま北稜へ飛び出す150mほどのルンゼスラブはフリーで進むが部分的に悪い。北稜に出ると真っ直ぐ北稜が続き、北東壁へ左に下るバンドは明瞭だった。北東壁には3パーティ確認。皆ビバーク組か?

7:00登攀開始。最初は簡単そうなのでアンザイレンしてロープを15mほど出しながら同時に登る。要所では残置のペツルにビレイを取りながら登る。北東壁側から登るが北稜にでるトラバースが少々難しい。そのようなところでは短いスタカットに切り替える。リッジに出てからも同時登攀で進むが、はるか上方に見えたオーストリアパーティを追い越す。年配の客にもリードさせていたのでその時はガイドパーティとは思わなかった。最初の難関risch-slabの下で別のガイドパーティに追いつく。risch-slabはフェースを直上しハングの下を右へトラバースしハングの切れ目のクラックを乗り越す。クラックの中が凍っており少々緊張するがガバガバしており下から見たよりは簡単だった。ただ、高度感は凄い。

Risch-slabからは主にリッジ上のクラックを利用しながら登る。50mいっぱいでピッチを切るように心がけるが支点は25mから30m間隔と思われる。いっぱいになるとNさんにも動いてもらうが、何時も一緒に登っているので暗黙の了解が多かった。リッジを進むと大きな岩峰に突き当たる。左からフェースを登れそうだが難しそう。ルート図では右へトラバースしているので チムニー状のバンドを右トラバースしクラックを登るとフェースが進路を塞ぐ。ガイドパーティの客(若い女性)がフェイスをトラバースしてリッジへでるところでバタバタしている。ペツルが2本ほどあるが手がかりが少なく難しそうだった。このピッチはA0させてもらい時間を省略、リッジへ出るところが露出感たっぷりで素晴らしい。しかしながら、Nさんのフォローの時、クイックドローを外す時に失敗、鋭い岩で手を切り出血してしまう。Badileの岩は石英質が多く鋭い、自分の手も登攀後は傷だらけだった。このピッチ以降から時間を省略するためにシングルロープを止めダブルで登る。ロープも簡単に切れそうな感じ。リッジと西壁側のフェースを登り高度を稼ぐ。

西壁側の岩の脆い壁を慎重に登ると、Topoでdifficult-slabといわれるスラブの下へ到達する。スラブには残置が要所にあり難しいとは思えないが、磨かれたスラブで滑りやすく足場を慎重に選びながら30m登る。ハング下の支点を通り越、右上するバンド状クラックを50mいっぱい登りカムビレイ。さらに、ハングの切れ目を乗越し、クラックが続く。露出感たっぷりのピッチだが素晴らしい高揚感。これで、核心部は終りかと思っていたが、その後も岩峰が次々あらわれウンザリする。最後は頂上の標が見える岩稜に出るが登ったり降りたりで、特に降りる箇所の判断が難しい。最後はDietmarパーティと一緒に頂上へ15時到着。予定より時間がかかってしまったが後ろのガイドパーティよりは早かったので良しとしよう。後ほど、聞いたのだがガイドのDietmarは45歳くらいで、15年間はガイドとしての仕事はしておらず,64歳の友人とBadileに登りたく一緒に来たとのことだった。

問題は南稜の下降だった。Dietmarが先行してガラ場を30mほど下り3度20mの懸垂し細いリッジにでた。Dietmar達がリッジの右か左で迷っている。彼らは左のはっきりしない踏み跡をたどって迷っていた。我々は右の顕著なクラックを下りリッジの右側へ。ここでDietmar達と別れ我々は南稜の西フランケを下降することになる。最初、クライミングダウンできそうな壁に、支点を作り20m懸垂して広いバンドに出る。ここで降りることが難しそうだったら引き返すつもりだった。広いバンドをくまなく探すと、残置ビナのある懸垂支点を見つけることが出来た。そこから、さらに25mほど懸垂すると更に懸垂支点がありそこから50mいっぱいの3度の懸垂でフランケの下に降りることができた。最後の2度は大きな空中懸垂で緊張した。そこから、羊がたむろする川底は避けて南稜のスラブ沿いに一段高いところを下降する。最後、踏み跡ケルンなどのある地点まで降りて安心したのだが最後25mほどの岩の上に出てしまった。その時右側を下るDietmar達を見る。我々の方が早かったのだが最後左に出過ぎて時間をロスしてしまった。岩角に支点をつくり、25mの懸垂で壁の下に降りることが出来た。20時にGianetti小屋へ到着。Dietmar達に遅れること30分。結果論から言うと、Dietmarがガイドだと小屋に着くまで知らなかったため、独自の下降ルートを選んでしまった。フランケは素晴らしい岩なのでクライミングルートが沢山あるのだろう。幸運にも懸垂支点を見つけることが出来たが、知らない所ではリスクを負うべきでなかったのだろう。

Gianetti小屋はイタリアの小屋雰囲気が全く違う。20時といえばイタリアでは宴会の真っ最中だった。食事も雰囲気もイタリア万歳。値段もスイスの60パーセントという感じだった。

北稜への取付へ。最後のルンゼ状スラブを登る先行パーティ。

北東壁カシンルートなどへ取りつくバンド。北東壁Anoter Day In Paradiseへ取り付こうとした若い英国人ガイド2人が濡れていたので断念したと話していた。

Risch-slabを登る。上は先行ガイドパーティ。

Risch-slabを越えてリッジを登る。

中間の核心部。難しいトラバース。

手を怪我してからの懸命の登攀。

DifficultSlabの登攀。岩塔の下を右トラバース。

頂上への稜線は近い。でも、中々終わらない。

Badileの頂上に十字架はありませんが万歳!

手の切れる様な岩を登り切り満足。でも、手はボロボロ。

Badile南稜フランケを懸垂下降。このあたりにもルートが何本もありそう。

8/28 朝皆がいなくなるころ起き、食事を食べ、Masinoへ下るDietmar達と別れ我々はスイス側のFuraHutへ戻るはずだった。9時過ぎに、地図も良く確かめずに出てしまった。向かったはずのPassoPorcellizo ではなくPassoBarbacanへ行ってしまった。峠を反対側に下っているとFura小屋で一緒だった連中とご対面。間違っていることが解った。一日を無駄ににする遠回りだったが素晴らしいトレツキングルートで1304mのBrasca小屋へ下った。小屋は谷の奥の素晴らしい佇まい。自家製の生ハム、チーズの昼食とビールでノンビリする。後で解ったのだがこの小屋はSentieroRoma(ローマの小道)と呼ばれる人気のトレッキングルートの最初の小屋でGianetti小屋、Masinoの2つの小屋へと続く。Fura小屋で会った連中もこのルートを辿るらしい。明日の結論としては1304mの小屋から2700mのTurubinasca峠を越えてFura小屋まで重荷を背負って歩くのは合理的でない。Nさんにロープ2本登攀道具をもって駅のあるNovateMezzolaまで1000mを下ってもらうことにする。軽い荷物でFura小屋へ登りLarretの駐車場から車でNovateMezzolaへ下り合流という予定となった。他に泊客が2名というこじんまりとした食卓だったが、家庭的なスパゲッティカルボナーラは素晴らしく美味しかった。

Gianetti小屋とBadile。正面が南陵。

まだルートを間違ったのも知らず余裕です。

Brasca小屋の昼食。少な目に頼みましたが?

小屋の広場でヨガの真似事。小屋の親父が“シアツ”かと。教えて欲しいとのことだったが。こちも初心者で・・・

8/29 Uは6:30FuraHutへ向かう。FuraHutから来た連中は10時間かかったとのことだったので登りはもっと時間がかかる可能性があった。今度は地図で何度も確かめながら登った。のんびり歩けば素晴らしい景色だろう。7月ならば高山植物の宝庫かもしれない。たった一人の山歩きだったが、Turubinascaの登りでGianetti小屋からきた2名を見かける。峠の上り下りはかなり難し部類の鎖場だが軽い荷物なので問題なかった。最後はBadileの西壁を見ながらFura小屋へ到着12:30。Nさんのヘルメットと自分が忘れたメガネを回収し1時間強でLarretの駐車場へ。来たときと違い車が沢山とまっていた。予定通りNovateMezzolaの駅でNさんと再会。Nさんの下りも思いのほか時間がかかったようだ。しかしルートは美しく景色を堪能しながら下ったとのこと。

NovaeMezzolaからCassinの故郷Leccoへ向かう。すぐ近くだがComo湖の畔で周りは岩山だらけだった。Dietmarに聞いたアドレスをナビに入力岩場へ向かうが結局たどり着けず。Lecco近くの潰れかけたような宿を見つける。

手前がイタリア、向こうがスイス。切れ込みがTrubinasca峠。7月ならばこの辺りは高山植物の宝庫かもしれない。

PitzBadile西壁。西壁にも何本ものルートがある。

 

8/30 朝から天気が悪い。Leccoの岩場も良く解らず。町のモールでshopping。
雨の中Chiavennaへ戻る。クライミングショップを発見。Monturaなどを物色。
日本の値段の3/2くらいか。

8/31 雨だったがMasino、Mellow渓谷へ行く。ここはイタリアのヨセミテと言われる地域。花崗岩と広葉樹の世界。生憎の天気で全貌は見えないが是非また来てみたい。秋はキノコも採れるらしい。紅葉のシーズンがお奨めかもしれない。勿論、岩場は其処等中にある。道路わきにもボルダリングや適当な岩場がある。Malpensaに近いBergamo泊。

Masinoの村の標識。左はMasino渓谷、右はMellow渓谷。Melloブランドのウエアーもあります。

花崗岩に囲まれたMasinoの村。

道路脇にもペッツルや終了支点のある岩が沢山あります。

9/01 Malpensa空港よりアエロフロートでモスクワ経由東京。

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