フランスアルプスゼクラン山群 ラ・ブリエール山稜、 ディボナ針峰
イタリア ブーシェトvia Ferrata
2014 08.23~08.29参加者:U,N
今年のヨーロッパは何処へ行こうかと悩んだ、クラブ内の色々な問題、、6月に少々痛めた身体などモチベーションは下がったままで梅雨に入り調整不足だった。富士山も2度登っただけで十分な高度順応も出来ているかどうか不確かだった。今年も近藤等先生の“アルプス珠玉の10ルート”にまた頼ってしまった。ゼクラン山群のLaMeijeへ行くことにした。“若きアルピニストの魂”を書いたインテリ・天才クライマージャン・コストが最後に姿を消し23年の生涯を遂げたのがLaMeije北壁だった。我々はLaGraveから入りPromontoire小屋からLaMeijeの南稜を登り山稜をトラバースし北面のAigle小屋へ抜けるルートを登るつもりだった。しかしながら今夏のヨーロッパ方面からの情報は低温と不安定な天気だった。直前の情報ではLaMeijeにはびっしり雪が付き、トラバースの難所にも雪が詰まっているとの情報だった。出かける直前に、あきらめてしまった。雪用靴、アックス、クランポンなどは持たず、ロッククライミングモードに切り替えた。両方の装備を持ちたかったがその重量をエコノミークラスでは許されなかった。目標はディボナ針峰周辺でのクライミングになった。
La Glave から見たLaMeije 北面。ロジェ・デュプラはこのエタンソンの谷に育ち”いつかある日”の詩をヒマラヤに書き遺した。
トリノから紀元前200年にカルタゴのハンニバルがローマへ戦闘像を率いて攻めの登ったという伝説のアルプス越えルートを反対にフランス・グルノーブルへの道を辿った。
Massif de Cerces Aretes de Bruyeres(ブレイヤーズ山稜の縦走)
トリノからLaGraveへ向かうエタンソンの谷の右側にある石灰岩の岩山をCercesと言うらしい。ガストン・レビファの解説書の最初のルートがこのブレイヤーズ山稜の縦走だった。比較的簡単で気軽に行けると思っていた。トリノからのドライブは山が険しく予定より大分時間がかかってしまう。発音が極めて難しいPont de l’Alpe(ポンド・ド・ラルプ)の道路端の駐車場より歩き始める。
08/23
Pont de l’Alpe 11:30 Aretes 取り付 14:00Aretes最後のピーク 16:00 Pont de l’Alpe 駐車場18:30
3級となめていたのでクイックドロー数個、シュリンゲ5本、8.5mm50m1本の軽装備で出かけた。ガイドブックには取りつきまで90分。歩いてみるとトンデモナイ2時間半もかかってしまった。追いついてきた登攀道具をぶら下げた3人パーティにガイドブックのコピーを示しながら取りつきを聞くが馬鹿にされたようにはぐらかされた。英語も良く通じないのであるが、地名のフランス語発音が出来ず苦労する。うろうろしながら取りつきを探すが彼らが指さした方向では取りつけない。時間も経過し、取りつき敗退が頭によぎったが、ふと見ると、例の3人組みが稜の末端のガリーに取り付いていた。我々も追いつく。石灰岩で岩角が鋭利なので、50mロープをダブルにして登る。
1p目:右へ登るクラック沿いに登る。難しくないが石灰岩がつるつるで怖く感じる。 支点がないのでざらざらのテラスでボディービレー。25m
2p目:小さなリッジを回りこむと、踏み跡のあるガリーを稜線へ。15m。
稜線へ出てからは、コンテと短いスタカットを繰り返しながら登って行く。カム類を車に置いて来てしまったので尖がった岩にランニングを取りながら行く。3人パーティの登攀スピードは遅いが、ルートファインディンしないので楽だった。最後の大きなピークは正面から登らず、右のバンドをトラバースしてリッジを登る。ホールド、スタンスが多く見た目より簡単だった。あとはコンテで最後のピークへ。ここで3パーティが集合。皆アプローチシューズだがカム類は沢山もっていた。我々はクライミングシューズで危なげのない登攀ができたがカムなしの登攀だった。下降は20mほどを懸垂で降り。ケルンつたいに稜線をトレッキングルートへ戻って行った。時差ボケのなか下りは思いのほか長かった。こちらのコースタイムは厳しい。
あまりよく解らないまま取り付きへ向かう。
2pの登攀で稜線へ出ました。石灰岩でホールドスタンスは豊富です。ただ、岩角が鋭くロープの操作は要注意。
見た目はルートがなさそうですが、よく見ると開けてきます。
核心部が終了しました。
フランス人も話始めると親切かも。写真を撮ってくれました。
Aretes de Bruyeres 2619mを後にします。こんなマイナーな山でも大きいです。
デボナ針峰(3,131m) ベルテ・ボエル・ストッファールート
AiguilleDibona(3,131m) via Bether, Boell,Stoffer
LaGraveよりグルノーブルへ向かう谷をくだる。道路には沢山のサイクリストが走っており運転に苦労する。ここはツールドフランスの舞台であり筋金入りのロードレーサーばかりである。谷沿いの細い道をLaBeradeへ向かう。LaBeradeは車で行ける最後の集落、昼食を食べDeEtageの道端に駐車してソレイユ小屋へ向かう。2時間とのことだったが3時間以上かかってしまった。
08/25
8:10取り付き 頂上16:00 19:15ソレイユ小屋
小屋から5分程で取り付き。取り付きには2パーティ。ルート図がないので先行してもらうことを期待したがVistObligatoireへ行くとのこと。
1p目:簡単なフェースからチムニーに入る。チムニーから出ても登れそうだがプロテクションが取れないのでチムニーの中をゴリゴリ登る。ザックが邪魔で疲れた。50m。
2p目:顕著なジェードルを登る。ジェードルから左のフェースに移るところが勇気がいる。フェースもところどころ難しい。40m。
3p目:フェースの左側にボルトラインがあるが、難しそうなので右側のフレークを時々利用しながら登る。30m。
4p目:右のラックの弱点を斜上する。最後はピナクルの基部に向かうバンド状を登り、そのまま東壁側の草付を登る。50m。
そこから緩い、踏み跡のたくさんある壁をコンテで登る。右の東壁側の上部で声が聞こえるのでボエルルートを先行しているパーティかと思って15m程登る。どうも、ルートではなさそう。しばらくうろちょろして、東南稜の稜を覗くと支点があった。後続のパーティも下に見えた。
5p目:出だしがちょっと難しいカンテ状のフェースを登る。上部は傾斜が落ちてきて上部を横断するボエルバンドらしきものがみえる。40m。このころから天候が悪化。雨が少々。
6p目:カンテ15m程登り広いバンドに達する。バンドを左に歩き。バンドが左へ切れるところまで。35m。
7p目:ハーケンシュリンゲの支点で一人がロワーダウン。一人はカラビナを残しクライムダウン。10m。
8p目:バンドを左に15m程トラバース。簡単なルンゼを登る。50m。
9p目:さらにルンゼを登るがところどころ難しい。50m。
ボエルルートは北稜よりを登ると勘違いしてしまい。さらにバンドを20mトラバースするが時々難しい。最後はぺろりとした垂壁で行き止まり。引き返す。フレークにシュリンゲとカラビナを残置してロワーダウン気味にバンドを戻るが悪い。ルンゼの上端まで戻る。良く見ると残置のボルトとリングがあった。撤退支点と理解して下をみると後続のパーティがルンゼの途中から右上するクラックを登っていた。懸垂20mでルンゼの途中へ戻る。
10p目:ルンゼからスラブを右は15mトラバース。クラック下へ。
11p目:被り気味のクラックから稜上へでる。プロテクションはナッツで腕力を使う。20m。
12p目:カンテを10m。顕著な縦縞のクラック下へ。
右側にもう少し簡単なボエルのオリジナルルートがあるはずであるが良く解らない。顕著な縦縞クラックのストッファーを登ることする。
13p目:縦縞のクラックをフットジャムを使いながら登る。途中、ピナクル状の岩にプロテクションを取り、カムを使いながら最後被り気味のクラックを力で乗り越す。30m。
14p目:右へスラブ 岩溝状を登り最後ハングを強引に乗り越す。50m。
15p目:簡単岩溝状を右上していくと最後頂稜に出て頂上に達する。40m。
下降は10m程。フリーで北稜を下り。25mの懸垂2回で北稜の方へ。先行パーティは50m一本で降りたので回収ロープが引っかかってしまった。ロープを外してあげ、我々は25mで切る。北稜の肩からはスタカットで50mトラバース気味に下降踏み跡のある安全地帯へ。そこから、ソレイユ小屋まではすぐと思われた。途中よりの踏み跡を選択し西稜よりを下降すると岩壁にさえぎられる。戻ることも考えたが岩角に下降シュリンゲが掛かっていたので50m懸垂。さらに25mの懸垂で顕著な踏み跡に戻りソレイユ小屋へ戻った。日本の山に比べ山が大きい、下りで又判断ミスをしてしまった。
天候の悪化は本格的な雨に至らなかったが、次の日は悪天予想とのことで小屋に泊まるのは我々と小屋改装の作業員8名ほどだけ改築中の小屋は不便だがガイド専用ルームに泊まり快適だった。
次の日は強い雨の中憂鬱な下山、イタリアのSestriereへ。
LaBeradaは谷の奥の村、LaMeije南側の取り付きでもあります。日曜日の午後カフェは閑散としていました。
ソレイユ小屋への道。
アルプスは見えてからが遠いです。日曜日の午後たくさんの下山者が。子供ずれも多く,小さいころから山に親しんでいます。
ソレイユ小屋。現在、大改装の真っ最中。来シーズンは快適でしょう。
Betherルートの取り付き。右側のチムニーから左上するジェードルを登るらしいとのことが夕方の偵察でわかりました。我々の知識はガストン・レビュファの解説だけ。トポ図無。
取り付きました。右のチムニーへ入ります。他のパーティは左のフェースをダイレクトに登るVistObligatoireへ。
チムニーに入りますが、チムニーはザックが引っ掛かり疲れました。
1p目終了点より。下に見えるのは工事中のソレイユ小屋。
VistObligatoireを登る地元パーティ。
1p目。
1p目終了点へ。
2p目出だし。
左のフェースを登るか、右のフレークを使うか迷いました。
3p目。
ホールドはあるのですが思い切りを要求されます。
3p目最後は右上します。左のフェースはMadierルートか?この後霧雨、ルートファインディングで余裕なく写真は撮れませんでした。
迷いに迷い長い登攀が終わり岩場は足の下です。
Aiguille Dibona 3,131m 山頂。二人とも握った指が開き難くなってしまいました。
北稜の肩、安全地帯?に降りて来ました。
後ろの西壁の真ん中でうろうろしてしまいました。西壁は傾斜も強くゾッとします。
雨に煙るディボナを後にしました。
2014.8.27 Via Ferrata, Vallone di Bourcet, Italy
トリノオリンピックのアルペンスキーの基地 Sestriereより近くのviaFerrataへ行くことになった。ホテルの主人に聞くが良く解らない、知り合い2件に電話をかけて、地図をコピーしてもらい出かける。今回は間違えないだろうとトリノ方面SS23を下っていく。途中ジャンプ台が右に見える集落。後で調べるとPagelatoという村でトリノオリンピックのジャンプ競技が行われた村だった。さらに下っていく目的地近くなり車を止めて、カフェにたむろするオジサン達に聞く。イタリア語で次から次と説明してくれる。親切なのだが解ったのは指指す方向だけ。説明された地点で道を外れると民家に突き当たる。また、3人のおじさんに尋ねるが良く解らない。結局1人のおじさんが車で先導してRoutreの村へ。そこで小道を入って行けと言われるが道が道が狭く自信がない。道路傍の駐車場に車を停めてそこから歩きとする。イタリアの皆さんは言葉があまり解らないが親切の結果ここまで辿りついた。駐車場には看板があり、Bourcetの谷のクライミングルートを説明してある。Bourcet渓谷はクライミングゲレンデでもあった。クライミングルートの標のある岩壁を右に見ながら進む、肝心の大きな看板の後ろの小道を見逃しVia Ferrataへの取りつき過ぎてしまう。渓谷を外れ、怪しい石積の小道を進むと、廃屋がかたまる集落へ比較的新しい家が2軒。人も住んでいるらしい。気持ち悪い、イタリアの八墓村かと思われる部落だった。写真を撮り、逃げるように渓谷の道へ戻る。看板の場所で良く見るとFerrataへの取り付きへの踏み跡があった。有料かと思っていたが誰も居ない。スティールのステップとワイヤーでルートが出来ている。見上げるとA2のオーバーハング。PASの安環カラビナとシュリンゲの安環カラビナを掛けながら登る。高所のとび職と同じ要領。2p程度登ると、今度はバンドを大トラバース。20mほどの谷は3本のワイヤーで作った橋で渡る、揺れると気持ち悪くなる。さらに、3pほど直上していくとやっと終了点へ。とにかく長い。遊びにしては長すぎる。90分もかけて終了したが単純な梯子登りに飽きてしまった。しかし、時々岩を登る場面もあり、5m間隔の支点を考えると軽々に初心者は連れて行けない。ロープも必要だろう。Ferrataを終え渓谷に降りると、岩場に取り付いているパーティが1組。涼しくなって気楽に来れる環境なのだろう。
Bourcetの谷。
Bourcetは岩登りのゲレンデでした。取り付きにはルート名も。
イタリアの八墓村へ迷いこみました。
ドクロ信仰か?
ようやくViaFerrataにたどりつきました。被っています。イタリア陸軍も訓練に使うルートです。
支点の間隔が長く、落ちれば5,6mの墜落。
梯子ではなく、岩を登る場面も多くあります。けっして初心者向きではありません。
トラバースもあります。
ゆらゆら揺れるワイヤー橋もあります。高所恐怖症の方は難しいかも?
とにかく長い。屏風岩の半分はあります。
結局、登山活動はこれで終了。今回は雪山装備をもっていなかったので、ゼクラン山群の最高峰バールゼクランへは行けなかった。La Meijeは次回の課題としても、比較的簡単はゼクランは登りたかった。