参加者:U,N
コースタイム:
7/15 7:05上高地 9:15横尾 10:35槍沢ロッジ 12:40水俣乗越 15:00北鎌沢出合
7/16 2:50北鎌沢出合 5:00 2400m地点北鎌稜線 5:40天狗の腰掛 6:50独標取付
7:30独標頭 10:10北鎌平 11:45槍ヶ岳山頂 12:40肩の小屋 18:30横尾
19:30徳沢
なぜか、北鎌尾根は初めてのルートだった。この超有名ルート今までなぜ登らなかったのだろうかと自分でも不思議だった。1967年冬、当時アルムの学生クライマー越山、石井の2名がテント無、デポ無で2週間かけて北鎌から西穂高まで縦走した記録に対する畏敬の念なのかその後アルムでは余り登られていなかった。
http://www.geocities.jp/jukutabi2/j.kiroku.003.html
その後1969年4月同じく学生クライマー川原、堀田、横須賀パーティが湯股から槍の肩まで1日で抜けた記録が唯一あった。彼らは縦走後屏風岩4峰の連続登攀を計画していたので岩登り装備も持っていたはずであった。越山、石井パーティは現在のアルムでも現役として健在で今年の1月アコンカグアの登頂をあっさり果たしている実力コンビであった。 残念ながら、川原は1970年にフランスアルプスのグレポンで墜落死したが彼の遺稿集に北鎌縦走の記録は残っている。
自分の残り少ない登攀人生を考えるとそろそろ登っておかなければ考えたのかもしれない。とにかく意を決っして北鎌へ向かった。ルートは3日間でクリアできる水俣乗越経由で北鎌沢取り付きという現在の最もポピュラーなコースとなった。
7/15 横尾にて屏風岩を登る若いアルムのメンバーと別れ、幕営装備を含む重いザックを持ち炎天下の水俣沢を水俣乗越までの登りは辛かった。乗越からはザラザラの急坂を天上沢へ下るが思ったよりの下りの悪さ。炎天下、北鎌沢出合までは長く、稜線まで出てしまおうかとの考えは早々に諦め、出合付近の快適な幕場でテントを設営した。単独を含めると6,7パーティ位が明日登るのだろう。
7/16 夜は異常に高温だった。月も満月に近い。北鎌沢右股の登りは朝日の昇る、東を背にする。温度の上がる前に北鎌上に出たかったので出発は3時前となった。出かける頃他のパーティは起き始めたようだった。北鎌のコルへは途中何処か間違えてしまい、左よりの標高の高い稜線に突き上げるが、急な草つきに苦労した。結局,200mほど標高の高い箇所からの北鎌尾根の登りとなった。誰もいない稜線は気持ちが良い、しかし、日が昇ると温度が急速に上がってくる。天狗の腰掛と思われ地点から独標が急速に迫ってくる。今日の課題は出来るだけ直登すること、独標の基部に達しロープを出す。左側のハイ松の上を左へ強引に10mトラバースして凹角に取り付く。丁度よいところにシュリンゲがある。この0ne-moveで核心は終わりであったが、状況がわからないのでスタカットで短い2p進む。その後アンザイレンして快適なリッジを気持ちよく登るが傾斜が落ちてきたのでロープをしまう。あとは何となく独標のピークへ達する。大槍が見えるが永遠に遠い感じ。その後は登ったり降りたり。巻き道はもろい岩が多く出来るだけ直上を心がけるが岩場の成り行きにまかせて捲いたり登ったり。北鎌平までは唯忍耐だった。北鎌平まで行けば直ぐ大槍と思っていたが、岩が轢きつめたような斜面の登りが暑さとともに堪えた。大槍の登りは何処でも登れそうで訳がわからない。基部でアンザイレンして、短いスタカット3pで大槍の祠に出た。正午前の山頂は溢れるばかりの登山者、誰にも会わなかった静かな北鎌から頂上のにぎわいには何か場違いな2人だった。交通渋滞の中、我慢しながら肩へ降りる。何故か、大学の体育の単位をとる為に槍を登った時を思いだした。あの時はポケットに両手をツッ込み下ったのをクライマー嫌いの山岳部のOBに思い切り怒鳴られたことを思いだした。
何はともあれ 北鎌尾根を終えることができた。何か残されていた宿題を終えた感じだった。
天上沢からの大槍。この角度からの大槍は初めてでした。
北鎌沢出合いの快適な天場で乾杯。
やっと北鎌尾根上に出ました。
天狗の腰掛からの独標。
独標直登の1p目。出だしは泥臭く、あとはすっきりしたリッジ。
独標の頭にて。
にぎやかな山頂の片隅で。背景は北鎌尾根。
冬の北鎌尾根~西穂高までの古い縦走記録をリンクして頂き光栄です。アルムではそれ以前にも、冬の合宿で北鎌尾根末端から極地法で槍ケ岳に登頂したりしていますが、U代表が初めてとは思いませんでした。
それにしても、2日目の16時間行動というのは凄いですね。ヒマラヤ登山を控えた貴兄はともかくとして、パートナーのNさんも大したものです。