2016.07.25~07.30フランスアルプスLaMeije他
参加者:U,N
La Meije登攀を思いたったのは3年前の2014年前の夏、そのときは天候などの状態から高度の低い同じ山塊のDibona針峰に切り替えて岩壁を登った。去年はLaGraveからPromotoire小屋に入って縦走を狙ったが天気のタイミングが合わずLaBerardeへ下山してしまった。今年はLaMeije 登頂を優先してアプローチの簡単なLaBerarde から入りPromontoire小屋でチャンスを狙う計画を立てた。フランスガイドの親友EricCharmelのお誘いで旅の前半はBougSt.MauriceのEricの家にお世話になることとした。7/26からEricはMustghAtaへ長期遠征予定だった。 LaMeijeは学生時代に憧れた”若きアルピニストの魂”の著者 ジャン・コスト が22歳の生涯を終えた山である。今年こそはと臨んだ山行だった。
ジャン・コストの”若きアルピニストの魂”
7/22
Geneve空港へ10時過ぎ着。 今回は羽田発の7/22深夜出るANAで7/22午前に到着という効率が良かった。GeneveからEricの住むBougSt.Mauriceは3時間程度と聞かされていた。事故渋滞、ツールドフランスが開催されていたAlbertvilleを通過した影響などで5時間以上かかってしまった。
Eric&Dominique Charmelのシャレー”Chalet La Boem”
7/23 ViaFerrata
Ericによると最近の天気は午後に雷雨が発生する不安定なの天気が続いていて、2,3日はこのような天気が続くとのことだった。つまり、ここでは大きな登攀はできないとの結論である。今日は朝2頭の犬を連れてBougSt.Mauriceの土曜日の午前中だけ開催される朝市へ。地元産の乳製品、ハム、サラミなどの食料品から衣類まで様々な出店が並ぶ。Eric、Dominiqueも沢山の友人と声を交わしここは地元の社交場だった。 昼食後、近くのSaintFoyTaventaiseのフェラータへ行く。ここのフェラータはワイヤーが無く、ねじれたペグにリードがロープを巻き付けながら同時登攀で登る形式だった。傾斜は無いが比較的実践的な登攀の練習という感じだった。途中から雷雨となったが70分程で終了した。
BougSt.Mauriceの朝市。
朝市のカフェで朝ワイン。
ViaFerrataの取り付き。
ワイヤーはありませんが、ステップとランニングビレー用の支点があります。
ViaFerrataの終了点を抜けるてハイキング。
7/24 LaGrndeMotte(3656m)
10:50 LaGrndeMotte北東稜取り付き 12:10山頂 12:45ロープウエイ終点
午後から雷雨予報なので午Motte前中Tignesスキー場よりLaGrandeMotte(3656m)を登る。Tignesの一番高いVillege、TignesValClaretよりFunikulaireと呼ばれる地下高速ケーブルカーとロープウエイを乗り継3456mのスキー場の終点へ。ゲレンデを高度差で100m程下り、岩稜に取り付く、取り付きはグズグズした岩場だが稜線上の硬い部分を登って行く。要所要所にハンガーボルトがありEricはビレーを取りながら登る。我々も同時登攀で続く。時折ギアの受け渡しを行う。最後岩稜が終わり、アイゼンを付けて雪壁を山頂へ。標高差300mあまりの簡単な高度順応と岩稜登攀の練習となった。下山は斜面雪壁を直接ロープウエイ終点へ。このころから計算通り天候が崩れてきた。Ericの家で昼食を食べ、LaMeije登攀の準備のためGrenoble方面へ下る。この2日間、EricとDominiqueは我々をゲストとして受け入れ、友人として山も案内してくれた。クライアントを連れて日本へも山スキーに来るとのことなので再会を期しSt.Mauriceを後にした。
Tignes2100の上、ValClaretよりフニクラに乗ります。
岩稜の末端の取り付き。
Ericは山岳ガイド。全てがお任せ、駐車場の場所から登攀道具の選択、登攀は勿論下山経路まで何も考える必要がありません。
LaGrndeMotte山頂にて。後方は有名なVal d’Isereのスキー場です。Tignesとつながっています。
お別れ前、ベランダで暫し談笑。
7/25
13:50LaBeralde(1734m) 16:00 Chatelleret小屋(2225m)
GrenobleよりLaBerardeへ向かう。Euroが不足してGrenobleで銀行を探したので時間を費やしてしまう。LaBererdeまでの道も今年土砂崩れが起き途中1時間近く待たされる。今日はPomontoire小屋の手前にあるChatelleret小屋へ入ることにする。小屋は氷河の融水の川に挟まれたた高山植物に囲まれていた。この小屋はハイキング目的の宿泊者も多かった。
ラ・ベラルドからシャトルレ小屋へ向かいます。LaMeijeが見えてきました。
シャテルレ小屋(2225m)
7/26
8:00Chatelleret小屋 11:15Promontoire小屋(3092m) 13:00 偵察 16:00 小屋着
今日はコースタイムでは3時間の行程でPromontire小屋まで。小屋を出ると、夕食で同席した年配の二人が追い抜いて行く、そのうち追いつけると思っていたらみるみる離されてしまった。そのうちに更に早い女性に追い抜かれる。小屋のNathalieだった。小屋に着くと小屋の主人Frediが双眼鏡を差し出し、LaMeije山頂から2名がウイングスーツで飛び降りるとのことだった。しばらくすると点のような人が飛ぶというよりガスの合間を急降下してくる。3900mから一気に小屋の下方へ降下してChatelleret小屋上部の雪渓へパラシュートを開いて二人とも同じ地点に着雪した。3900mから2300mまでの2,3分の飛行だった。小屋で昼食を食べ、早速偵察登攀に出る。明日は夜明け前の出なので夜明け前の部分はトレースしておきたかった。小屋の裏からの登攀開始。アンザイレンして、難しそうな部分は確保してもらい小刻みなスタカットで登る。ヒキガエルのギャツプからのカンテの乗り越しが少々悪い。その後あまり難しくない2,3級の尾根を登る。スラブに出てスラブから岩の切れ目の弱点から“お嬢さんのキャンプ場”と呼ばれるテラスに出る。スラブとバンドで形成されるトラバースを100m。凹角を30m登ったところで今日の終了とする。ゆっくり登ったのでここまで2時間弱。年配の2人が偵察に来て追いついてきたので彼らの到着を待つ。彼ら同時に下山。下りの難しい箇所は3回ロワーダウン、大部分はクライムダウンできた。小屋に戻ると20名ほどの登山者が明日の好天を予想して入っていた。食事のとき8パーティが縦走、2パーティがGrandPic往復とのことだった。ガイドも含め皆言うのは、縦走の方がはるかに楽だとのこと、GrandPicの同ルート下降は難しいとのことだった。ロープも50m2本が必要とのことだった。縦走組の殆どはLaBererdeからの入山と聞かされて少々驚きだった。LaGraveから如何にして車を取りに来るのだろうか? 言葉の問題のない彼らは何とかなるのだろう。一緒に縦走しようとも強く誘われたが計画通りとした。Chatelleret小屋から一緒だった年配のフランス人2人は80歳と70歳ということがわかった。彼らも縦走組で車は何とかなるとのことだった。アプローチのスピードはまさにレジェンドだった。
Promontire小屋への登り。
LaMeije。 右の壁がGrandPic 南壁。 左の稜がPromontoire稜。
最後はラ・メージュ氷河に入ります。白い建物がPromontire小屋。
Promontoire稜の偵察。ヒキガエルを越えた稜線。
お嬢さんのキャンプ場と呼ばれる大テラス。
デイアメル・クロワールへ向かってトラバース。偵察の最高点。
7/27 La Meije Grand Pic(3983m)
4:00Promonotire小屋発 11:00 GrandPic山頂(3983m) 11:30下山開始 1:00Promontire小屋着
朝3時に起きる、レジェンド2人は既に起きて朝食を始めていた。我々も急いで食事を済まし、準備する。昨日の偵察の時はクライミングシューズを使わなかったが、暗いなかの1時間を考えクライミングシューズにして出来るだけコンテで行くことにする。ヒキガエルのギャップの乗り越えだけはスタカットで登る。暗い中でもクライミングシューズは快適に登ることができた。お嬢さんのキャンプ場の手前のスラブで感じのよいフランスガイドパーティに追いつく。クライアントの膝の調子が悪く諦めるらしい。昨日の偵察の地点まで1時間あまり、半分の時間でくることが出来た。デュアメルクロワールと言われるルンゼまではカンテとランぺを左上する。まだ薄暗い中クロワールに達するが、クロワールというよりは大きなルンゼだった。暗くて下降地点が解らない、確保してもらって側壁を左上すること15m、行き詰まりルンゼへ下降できない。戻るのも難しいので岩角になわを残置、カラビナを捨ててクライムダウン。辺りが明るくなると下降地点が解った10m程のクライムダウンでルンゼの底へ。30分ロスしてしまった。デュアメルクロワールは2級ら3級の岩場で4p程の距離を息を切らしながら登る。クロワールを抜けると傾斜の落ちた尾根上のスラブを切り立った岩峰の根元まで登る。この岩峰が黄色いジャンダルムらしい。ルートは岩峰を避けるように右へトラバース、カステノールのスラブと言われるスラブを右上する。上部のカレル雪渓からの水が流れており冷たいし靴を濡らさないように登る。この辺りで先行する3人パーティに追いつく。カステルノーの岩場を左へトラバースすること2pで先ほどのジャンダルムを回り込み、尾根上の岩場の確保点に出る。出だしカンテ状の膨らみを乗り越し、右側の少々難しいフェースを乗り越し左からの凹角に合流した。ここは左からの凹角に出るべきだった。先行の3人も早くないので、短めのスタカットで凹角、オーストラリア人のスラブを登り、左に大岩を回り込むようにして西稜側にでる。この辺りで岩質は緑色の片麻岩に変わり、急に風が冷たくなる。大きな岩稜を右に回りこみスラブ状のバンドを右へトラバースして行く。途中岩を回りこむところ2か所が少々悪い。カレ氷河の左下の大きなテラスで3人パーティに追いつく。ドイツ人パーティだった。3人とも大男で屈強そう。彼らに先行してもらうことにする。ここでアイゼンを付けカレ氷河を右上していく。傾斜は35度から40度であまり急ではない。表面は柔らかいが硬いところもあるので慎重に標高を稼ぐ。50mのピッチで6p位だろうか最後は氷河の右端を直上して、西稜上の頂上岩壁の下にでる。ここでアイゼンとピッケルをデポする。頂上岩壁は下から見たよりは傾斜がない。右側の岩壁の方が簡単そうであったが岩質が脆く左側の傾斜の強いカンテ側を登っていく。先行3人が時々岩を落とすので彼らのラインを外しながらルートを選ぶ。途中2名のウイングスーツを着たフランス人に会う。この辺りから岩壁を飛ぶらしい。北風が吹いていたので北側のLaGlave側へ飛ぶのかもしれない。近くでウイングスーツを初めて見たが薄い生地で手を開いてはじめたウイングになるという不確かなもの。飛び降りた瞬間に風をつかめなかったらどうするのだろう?考えただけでも身震いがする。しかし、ヨーロッパの命知らずの主流はこれらしい。冷たい北風で彼らのジャンプを見届ける余裕もなく左側の稜線を意識して登って行く。左側がスラブのジェードル状の岩場で3人に追いついてしまう。僅か10mほどであるが先行のリードが苦労している。凍えるような風の中20分ほど待たされる。スラブに左足をのせる2か所が細かいが右のクラックに1か所カムを決めて赤い馬と呼ばれるカンテにまたがり乗り越す。ここからは北壁側へあまり難しくない壁をコンテで登り頂上へと先行する3名とほぼ同時に出ることが出来た。頂上からは多くがトラバースする山稜が続いている。ドイツ人3名も迷っていたが時間が遅くなったので当初の計画を変更してPromontire小屋へ下山するとのことだった。風を避け30分程山頂を楽しみ早々下山にかかる。50m程クライムダウンして、最初の懸垂。2回目の懸垂は少々失敗、グズグスのルンゼの懸垂となり。30m程で中断、登ってきたカンテのラインに戻る。ここまでは我々が先。行したがここからドイツパーティが先行、我々よりも懸垂支点に精通しているようだった。ドイツパーティの懸垂を待っているとレジェンド2人が上がってきた。80歳が70歳をリードしている。70歳は大分疲れているようだったが80歳は縦走すると意気軒昂だった。3回の懸垂をまじえカレル雪渓上部のコルに降りる。登った時は日が当たっていなかった気温も上がりカレ氷河は雪も大分柔らかくなっていた。ドイツパーティは雪の上で極端に遅い、我々も慎重にゆっくり下る。カレル氷河下のテラスでアイゼンを外した。当初、スラブ状のバンドを西稜側へ戻り、そこから懸垂を交えて下降するつもりだった。ドイツパーティは我々の気がつかなかった懸垂支点を使い50mの懸垂を始めた。50m、25m、50m、25mの懸垂でデュアメルの上部スラブに出ることができた。この時点で16時、時間はかかったがもう難所は過ぎたと少々安心してしまった。デュアメルクロワール上部の支点からドイツパーティは懸垂を続ける、我々は落石も避けたいし傾斜の緩い岩場でのロープの絡みをさけてクライムダウン、要所でのロアーダウンを繰り返し彼らから離れないようにする。そのうちにデュアメルを下り過ぎているのではないかとの間違いに気が付く。5人で広いルンゼの中で迷ってしまった。Promontoire稜への戻る地点は何処か?迷ったときの鉄則、登り返す、残置なども時々あり解りずらい。20時過ぎまでの日没までが迫っていた。やっと朝、自分が残置した捨てなわとカラビナを見つけ出した。夕闇迫るなか、Promontoire稜へでることができた。ここからは偵察の時1時間で戻ったあたりと思われた。この辺りで闇となる。我々が先行していたが、スラブの上でドイツパーティと合流、この時点で22時を過ぎていた。一人がロワーダウン気味にルートを確保してから懸垂、ロワーダウンで降りるという作業を繰り返した。最後急な岩場を懸垂で降りるとそこは小屋の直ぐ上、ヒキガエルのギャップだった。最後の自分が小屋へ着いたのは1時過ぎ。小屋の主Frediが温かいスープを用意して待っていてくれた。 小屋は好天を期待した登山者で満員、我々は何とか寝場所を確保したが、縦走するつもりだったドイツパーティは食堂の床で寝ることになった。1時間もすれば皆起き始めるので何処かに潜り込めただろう。 岩場で21時間行動した長い一日が終わった。
カステルノーの岩場。カレ氷河の真下で濡れています。この下でジャン・コスト達2人が見つかったようだ。
カステルノーの岩場を登る。
黄色いジャンダルを回り込み”ロバの背”というカンテを登る。
オーストリア人のスラブに向かって登ります。
カレ氷河を登る。右の岩場を大きく回り込んで行きます。
GrandPic山頂。木の象はマリア様ではありません。
イエスの象かもしれません。
後方は縦走ルートです。あまり難しそうではありません。
GrandPicより北壁側LaGraveの村を望みます。
3本目の懸垂を準備していると、80歳のレジェンドがリードで登ってきました。12時30分でしたが縦走すると張り切っていました。彼らも遅くなったと思います。
7/28
9:00Promontire小屋 15:00LeBerarde
朝起きると登山者は我々とドイツパーティ以外5、6名しかいなかった。FrediとNataliにお礼を言い好天のなかPromontire小屋を去る。途中Chatelleret小屋へ寄り昼食。追い抜かいたはずのドイツパーティもパラソルの下のテーブルにいた。彼らとはなかなか縁が切れない。背中に日を浴びながら暫し昼寝。LeBerardeまでの2時間余りを下る。最後は右岸の道をとり村へ下る。右岸の道は景色が素晴らしいが疲れた体には堪えた。朝はAostaあたりまで下るつもりだった。LeBerardeの雰囲気があまりにも良かったの旅行案内所でこホテルの案内を乞う。隣のホテルが空いているとのこと。共同トイレ、シャワーの山小屋+のホテルに泊まることにした。夜、村で2軒ほどのレストランで食事しているとドイツの3人が入ってきた。頑強のゲルマンも疲れたらしい。彼らは明日よりCourmayourに入りDentGianへ行くとのこと。我々の短い休みに驚いていた。
疲れて重い足取り。LaMeijeを後にします。
シャテルレ小屋で休憩、昼食。ドイツパーティ3人もいました。屈強のゲルマン人も疲れたらしい。
シャテルレ小屋は水が豊か。高山植物がいっぱいです。
7/29
帰国の前日、このところ毎年行っているAostaのAlpStationへ行くこととする。LeBerardeからの山道で暫し工事通行止め、荷物を整理していると、後ろからドイツの3人が現れた。よくよくの因縁があるのだろう。今度は本当の別れだった。 去年の道路が通行止めになりゴムボートに乗ったがけ崩れ地点は今年も通行止め。ことしは湖の反対側にう回路ができていた。フランス語が解らないと迂回路の説明も読めない。Oisanで英語の堪能な自転車の青年に丁寧に教えてもらい複雑な迂回路に入ることができた。道はすれ違いの難しい山道だった。道路の回復はトンネルを掘っているので数年かかるかも?
AlpStationは愛用しているMonturaのFlagShop。もう顔見しりになったおばちゃん店長の笑顔に迎えられた。今年もまたプレゼントをもらい、紹介してもらった子供向けAlpStationへ。観光客でにぎわうAostaの旧市街地の中にあった。Aostaは紀元前ローマの属領となり旧市街地の中には当時の城壁などが残されている。いろいろな見どころも多くあるらしい。観光案内所でホテルを探してもらい結局Aosta泊。何となく入ったレストランは少し発泡した白ワイン、カップレーゼ、ペスカトーレ、ミラネーゼが素晴らしく美味しかった。
毎年立ち寄るAostaのAlpStation。
7/30
今日は土曜、モンブラントンネルの混雑を予想して早めにでるがイタリア側は全く空いていた。フランス側は長蛇の列、シャモニーのキャンプ場近くまで続いていた。皆物価が安く、料理の美味しいイタリアを目指しているのか?モンタンベール行の駅の近くの草原の駐車場で帰国の荷物を詰めシャモニーの街で昼食。英語がどこでも通じ便利だが、人が多く、レストランもAostaの3割高、味は普通。早々にシャモニーを後にする。 レンタカーを借りたのはGeneveのフランスサイド、空港付近の紛らわしい道にスイスサイド行ってしまい。ギリギリのタイミングでフランスサイドのAvisへ辿りついた。GPSもスイスサイド、フランスサイドが近すぎて認識できないようだ。国境はあるが同じ建物なのだ。最後はドタバタでヒヤヒヤものだったが何とか飛行機に乗り込み予定通り帰国することが出来た。
LaMeije登攀の反省点は
*やはり縦走すべきだった。縦走はルートを外しにくいし、懸垂支点も明瞭なはずである。Promontoire稜の下降は懸垂支点が不明瞭、地形が複雑で一見の我々には困難だった。
*ドイツパーティに頼りすぎて、ディアメルクロワールの脱出点を見過ごしてしまった。自分の残した捨て縄とカラビナを最初から確認すべきだった。
上野、名雪さん
3年越しの目的であったラ・メージュ登頂おめでとう。
イメージしていたより雪が少ないのですね。
今年のアルプスは雪が少ないのかな?
80歳の爺さんも頑張っているようですし、来年はぜひ近藤等氏推薦の縦走を!
飲み会で奮闘記をお聞かせください。
山口さんコメント有難うございます。今年は去年に比べて雪が多く氷河も安定していました。今回は確実に登頂と考えて縦走はしませんでした。縦走は技術的な問題よりも登山後の車の回収など非地元の我々には難しい問題があります。来年はGrepon MerDeGlaceかなと考えています。ここも登るよりも下降の方が難しそうです。
Uさん、ごぶさたしています。
相変わらず精力的に登っていますね。
「若きアルピニストの魂」は私も山を登り始めた頃に読みました。最初に読んだのがエルゾーグの「処女峰アンナプルナ」で、強烈な衝撃を受けました。その後に読んだのが「若きアルピニストの魂」だった気がします。山への憧憬がどんどんと強くなっていく時期でした。
そのLa Meijeを、最近TVMountain.comの動画サイトで見て懐かしく思っていました。
http://www.tvmountain.com/videos/1-alpinisme.html
ご存知かもしれませんが、このサイトには主としてヨーロッパアルプスの登攀の動画がアップされます。ほとんどがフランス語なので詳しい内容は理解できませんが。フランス語テキストの説明のGoogle翻訳はもっと理解不能です(^^;
今年の7月にアップされているのがLa Meijeの縦走だと思います。
http://www.tvmountain.com/video/alpinisme/11294-1-traversee-de-la-meije-les-enfetchores-refuge-arete-du-promontoire-grand-pic-alpinisme.html
http://www.tvmountain.com/video/alpinisme/11301-2-traversee-de-la-meije-oisans-ecrins-grand-pic-doigt-de-dieu-refuge-de-l-aigle-alpinisme.html
その少し前に小屋のFrediさんの動画もアップされています。
そのうちまた山でお会いしましょう。
O竹さんコメントありがとうございます。
一昨年はDebona針峰での登攀に逃げ、去年はLaMeije敗退と3年越しのLaMeijeになりました。この山域は日本人は殆ど見られず、シャモニーの喧騒もなくすっかり好きになってしまいました。
ジャン・コストのLaMeijeを登り肩の荷をおろした感じです。